妹島和代の両親はどんな人?茨城の実家やルーツに迫る!【NHKアカデミア】

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建築界のノーベル賞といわれる「プリツカー賞」を受賞し、フランスのルーヴル美術館の別館をも手掛け、世界の一流建築家の仲間入りをしている妹島和世さん。

過去、妹島和世さんの建築チームは新国立競技場の設計案を出し、審査会最終選考にも残っていましたね。

女性建築家として、確固たる地位を築いている彼女。「NHKアカデミア」に出演されます。

そんな妹島和世さんの両親はどんな人だったのでしょうか。

また、茨城にあると言われる妹島和世さんの実家について、調べてみたいと思います。

妹島和世さんのプロフィール

名前:妹島 和世(せじまかずよ)

生年月日:1956年10月29日

出身:茨城県日立市

地元の小・中学校卒業後、茨城県立水戸第一高等学校へ進学。

日本女子大学家政学部住居学科卒業、その後同大学院家政学研究科住居学専攻修士課程修了。

伊藤豊雄建築設計事務所に在籍し、建築家として活動する。

1987年には独立し、妹島和世建築設計事務所を設立。

1995年、西沢立衛と共にSANAA設立。

吉岡賞、日本建築学会賞など数々の賞を受賞。

2010年には、日本人女性として初めてプリツカー賞を受賞。

2024年には文化功労者として表彰を受けている。

父は日立製作所の技術者だった!

妹島和世さんのお父様は、「大阪大出身の溶接エンジニア」だそうです。

「女性は働いた方がいい」という考えの方だったそうで。

それから父は日立製作所の技術者だったんですけど、父も、女の人も働いた方がいいという考えでした。
ですから「和世」という名前も、社会に出た時に、男か女かわからないように、という意図があったらしいんですよ。小さい時に聞いたので、私の記憶が正しければですけれど。

クラブウィルビー記事よりhttps://www.club-willbe.jp/interview/20181025_a.html

現在はお亡くなりになっていらっしゃいます。

当時「日立製作所日立工場」で、妹島和世さんのお父様にお世話になったとおっしゃる方のコメントも見つけました。

素敵なお人柄の方だったのでしょうね。↓

https://www.facebook.com/hitachicity.mayor/posts/%E5%A6%B9%E5%B3%B6%E5%92%8C%E4%B8%96%E3%81%95%E3%82%93sanaa%E3%81%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E%E6%97%A5%E7%AB%8B%E5%B8%82%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%9A%84%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%AE%B6%E5%A6%B9%E5%B3%B6%E5%92%8C%E4%B8%96%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%B2%A2%E7%AB%8B%E8%A1%9B%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%BB%BA%E7%AF%89%E5%AE%B6%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%88sanaa%E3%81%8C%E7%AC%AC33%E5%9B%9E%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%AE%AE%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%9E%E3%82%92%E5%8F%97%E8%B3%9E/4784831838285915/

バイタリティ溢れる努力家の母

妹島和世さんのお母様も、頭脳明晰で、社会の本質を見抜く目をお持ちの方だったようです。

母が、女性でも(仕事は)何かやれた方がいいんじゃないか、という考えでしたね。
うちの母は戦争とかがありましたから、自分があまり社会に出て行けなかったことを残念に思っていました。
(妹島さんのお母様は)仕事としてはしていませんでしたが、いろいろやっていましたね。
大学にも行っていないのに、裁判官か何かの試験に独学で合格してたんです。結局、それは結婚したのでやらなかったんですが、結婚後は病院ボランティアを立ち上げたり、まだボランティアなんていう言葉もない時代に、自分で始めたんです。何十年か続けたことで表彰されてもいました。
その他にも福祉関係や、カウンセリングなんかも自分で勉強して。英語も1年間、学校に通ってましたし、まあ、努力家でしたね。
クラブウィルビー記事よりhttps://www.club-willbe.jp/interview/20181025_a.html

専業主婦だったお母様ですが、独学で勉強した英語は、妹島さんよりもお上手だったという話もあります。

この「お母様」、小笠原家(かつての日本の氏族のひとつ)のご出身だそう。

小笠原家についてはこちらが詳しいです。↓

妹島和世さんと小笠原家書院・資料館 【SANAA】 長野県飯田市|龍造寺文庫
なんでこんな所に?という不便な場所にあるカッコいい建築(器の役割を果たしてないモノはちょっと違うけど)。 例えば建築家のキャリア初期の作品(依頼主をあまり選り好みできない?)で、後に建築家の知名度が上がるケース。 もしくは予算充分の変わった...

このサイトの中で、飯田市伊豆木にある小笠原資料館は、妹島和世さん(SANAA)が設計なさったという話も出てきています。

その際、設計を妹島和世さんに勧めたのは、お母様だったようです。

妹島さんのお母さんが小笠原家ご当主の娘。資料館建設の話が出た時に、お母さんが妹島さんに「あなたがやりなさい!」とプッシュしたそうです。

実家は茨城の日立にある、日立製作所社宅

お父様が日立製作所の技術者だったことから、幼少期~高校卒業まで、日立市で育った妹島和世さん。日立製作所の社宅だったそうですよ。

現在、日立製作所の社宅として検索して出てくるのはここ。

傍に「日立市立助川小学校」(妹島さんの出身小学校)があるので、ここの可能性が高いです。

高校は、茨城でも偏差値の高い「水戸第一高等学校」に日立駅から通っていたそうです。

当時、この旧日立駅のプラットホームからは、潮の香りがする程海が近いのに太平洋がまったく見えなかったそうで、ずっと残念に思っていたそう。

その思いが、のちに日立駅を設計する際に生かされ、形になったものが、こちら。↓

妹島和世さんのルーツは・・・

妹島和世さんが最初に建築に興味をもったきっかけとしてあげているのが、菊竹清訓さんの「スカイハウス」。

お母様が読んでいた雑誌「婦人の友」に載っていた写真を見て、「これが家か」と衝撃を受けたそう。

妹島和世さんは、大学院卒業後、菊竹清訓さんの弟子でもある建築家・伊東豊雄さんの設計事務所に入っていることからも、幼少の頃目にしたこの「スカイハウス」の存在は大きいのではないでしょうか。

菊竹清訓「スカイハウス」の様子↓

まとめ

いかがだったでしょうか。

今回は、日本を代表する建築家・妹島和世さんのご両親はどんな人だったのか、また妹島さんの実家やそのルーツについても調べてみました。

・お父様もお母様も、「女であっても、仕事をしっかりと持ち、社会で生きていける力をつけること」を大切にしていた。

・素敵な人柄のお父様、力のある頭脳明晰なお母様だった。

・実家は日立製作所の社宅であり、幼い時に見た菊竹清訓さんの「スカイハウス」が妹島和世さんのルーツともいえる建築。

以上のことがわかりました。

妹島和世さんの建築は、自分と周囲の環境を一体化させてくれるような、不思議な魅力がありますね。

日立駅、行ってみたいです!

 

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