数々のバラエティ番組から情報番組のコメンテーターまで幅広くテレビ出演されているイメージの坂上忍さん。
一見「頑固親父」っぽく見え、とっつきにくいイメージもあるような 笑
今でこそ坂上どうぶつ王国などのテレビ番組でその優しさを目の当たりにし、社会貢献しているという印象がありますが、ここまで芸能界を生きてきた坂上忍さんの過去はどんなものだったのでしょうか。
そもそも「坂上忍って、何者なの?」と気になる人もいるはず。
3月17日【しゃべくり007】にて、その過去を語っていらっしゃいます。
そこで、
★坂上忍さんは過去、歌手だった!?
★借金生活だった父親との関係は?
この2点について、ちょっと調べてみました。
坂上忍さんのプロフィール
明日よる7時は #坂上どうぶつ王国 👑
#坂上忍 の保護人生を変えた #猟犬 「筑波サンタ」との愛の物語📖✨️
サンタとの出会いは特別で、
坂上パパに懐かないはじめてのわんこ🐶
7年間の絆にスタジオも涙…#髙橋海人 くんとのお散歩も振り返り🐾
🗣このお家で良かったですか? pic.twitter.com/XEoimdZ56g
— 坂上どうぶつ王国【公式】金曜よる7時〜 (@s_doubutsu) April 18, 2024
名前:坂上 忍(さかがみしのぶ)
生年月日:1967年6月1日
出身地:東京都杉並区
身長:169 cm
血液型:AB型
テレビドラマの子役としてデビューし、父親の借金返済のため仕事を続ける。
14歳の時に個人事務所を立ち上げる。1984年にロック歌手へ一時転身。
その後、俳優、映画監督、劇団立ち上げ、芸能スクール開校など様々な活動を行っている。
坂上忍さんは過去、歌手だった!?
坂上忍さんは、子役デビューしていたこともあり、子役としてもCDを出していますが、「ロック歌手」として本格的に活動していた時期があったそう。
期間は1984年~1986年の2年間。短い中でも、6枚のシングルと4枚のアルバムを出しています。
★1984年、デビュー曲「J.D.BOY」:作詞:大津あきら、作曲・編曲:後藤次利
★シングル「さよならマンディ」:作詞:大津あきら、作曲・編曲:後藤次利
★シングル「MIDNIGHT DANCE」(ビリー・アイドルのカバー):作詞・作曲:B.アイドル、S.スティーブンス、日本語詞:坂上忍、編曲:武部聡志
★シングル「悲しみのモノクローム」:作詞・作曲:NOBODY、編曲:船山基紀
★シングル「18’s Shadow」: 作詞・作曲:森山達也(THE MODS)、編曲:中村哲
他、アルバムは以下4つ。
- 「DRAMATIC 1ST SHINOBU」1984年
- 「CHECK IN」
- 「SUMMER STORM」1985年
- 「TURN THE TIDE」1986年
このセカンドアルバム「CHECK IN」では、ロンドンでレコーディングが行われ、英国ギタリスト、ウィルコ・ジョンソンが参加していたそうですよ。
このウィルコ・ジョンソンという方は、1975年にギタリストとしてデビューし、英国チャートナンバーワンに輝いたこともあるとか!
坂上忍さん、最後のシングル「O・Z・O・N・E」では、「作詞・作曲:坂上忍、編曲:坂上忍 with OZONE」となっており、作詞作曲から編曲あたりまでご自身でなさった様子!
結構、本格的にロック歌手として活動なさっていたのではないでしょうか?
ですが、この最後のシングル「O・Z・O・N・E」はオリコンチャート100位圏外となり、そこで打ち切りとなってしまったようです。
声は、よく聞くと今の「坂上忍さん」と変わっていませんね。笑
坂上忍さんの父親は借金まみれ!?
坂上忍さんの父親は「坂上精一郎(勝也)」さんで、福岡県大牟田市出身と言われています。
業界紙の記者だったそうですが、小説家になるために新聞社を退職し、出版社を立ち上げたそう。
小説も書いているようです。↓「歳月のかたみ」坂上精一郎 著
坂上忍さんが15歳の時に、奥様である坂上忍さんのお母様と離婚し、坂上忍さんとは離れて暮らしていたそう。
この離婚、当時中学生だった坂上忍さんがご両親に離婚するように話したそうです。
子どもから「頼むから縁を切ってください」と言われるのは、親としてはきついと思いますが、それくらい破綻していたということでしょう。
坂上精一郎さんは太宰治に憧れていたそうですが、破天荒な性格でもあったようで。
この出版社が失敗し(ギャンブル好きもあったそう)1億円の借金を作り、家族の前から姿を消したようです。
ちなみに、この1億円の借金は、坂上忍さんとお母様が無事に完済したそうですよ。
坂上忍さんのお母様である淳子さんはインタビューで過去以下のように話しています↓
「(坂上精一郎さんは)勝ち気で、大きな夢を持っていて、見えっ張り。でも、そこに私はすごく引かれたんですね。忍は“その血”を受け継いでいると思います」
借金を残して逃げたはずの夫を、淳子さんは、今も愛情を込めて「パパ」と呼ぶ。別れたあとも、元夫とは連絡を取っていたと打ち明ける。
女性自身記事よりhttps://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1610218/#goog_rewarded
お母様である淳子さんは、やはり自分の愛した人ですから、愛情が残っていらっしゃるようです。
ただ、お子さんである坂上忍さんとしては、複雑な気持ちですよね。
坂上忍さん父親との関係は
坂上忍さんの父・坂上精一郎さんは、2012年に亡くなっています。
坂上は4年前に亡くなった父親の「葬式にも出なかった」と明かし、「僕は会ってないんです。イヤだから」と完全に気持ちの上では決別していることを明かした。
デイリーネット記事よりhttps://www.daily.co.jp/gossip/2016/10/05/0009556947.shtml
2歳8か月の時から子役として活躍されてきた坂上忍さんですが、「ずっと子役やめたい」が口癖だったとの情報もあります。
ですが、父親の借金返済のために、働かざるを得ない状況だったようです。
そう考えると、自身をそこまでの境遇に追い込んだ坂上精一郎さんのことを、「父親」としてみることはできないという気持ちもあるのではないでしょうか。
一方で、坂上忍さんは自身を「ファザコン」とも言っています。
小さい頃、父親に寿司屋に連れて行ってもらったことが思い出だそうで。
記者としてペンを走らせる父親のかっこよさに憧れていたところも幼いころはあったそうです。
しかし、その後の多感な時期に、父のギャンブル三昧、母親へのDVなどがあり、「父親」としての憧れは無くなってしまったのでしょうね。
父・坂上精一郎さんが亡くなった後の2013年8月、TBS「謝りたい人がいます」という番組で坂上さんは初めてお父様の墓参りをしたそうです。
その際、お墓の前でお父様である坂上精一郎さんに以下のように話しかけたのだとか。
「ちょっと意地張り過ぎたかな~。
いい思い出、嫌な思い出、両方たくさんくれた人」「もっと早く来ようと思えば来れた。
だいぶ時間が経ってしまい、申し訳ございませんでした」「そっちでは、借金をしない程度に
楽しんで下さい」
年月が経ち、自身がかつての記憶の中のお父様の年齢になり、思う所もあったようですね。
葬式には出られませんでしたが、今ではきっと「許している」のでしょうね。
まとめ
いかがでしたか?
今回分かったことは・・・
- 坂上忍さんは過去、1984年~1986年までの約二年間、ロック歌手として本格的に活動していた。CDシングル6枚、アルバム4枚をリリースしており、作詞・作曲・編曲を手掛けた楽曲もある。イギリスで有名なギタリストもアルバム制作時に参加していた。
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坂上忍さんの父親は「坂上精一郎」さんで、新聞記者だったが小説家になる夢があり、退職して出版社を立ち上げていた。自身のギャンブル癖と事業の失敗から1億円の借金を抱えた。加えて、DVなどもあり、子どもである坂上忍から離婚を切り出される形で離婚。その後も父親を許せずにいたため、葬式には出なかったが、葬儀後の翌年、墓参りで父親に語り掛ける様子からは、「許し」の感情も垣間見られる。
壮絶な人生を送ってきた坂上忍さん。
だからこそ、人に優しく、動物たちにも優しく、できるのかもしれませんね。
3月17日(月)の「しゃべくり007」では、父親への思いも語られるのかもしれません。
今後も坂上忍さんの活動に注目しましょう。
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