青木恵子(Keiko Ono Aoki)・NYセレブ起業家の経歴がすごい!【プラチナファミリー】

経営者さん

ニューヨークの社交界では知らない人はいないと言われる、日本人女性起業家の青木恵子さん。

「社交界」と聞いてもいまいちピンと来ない一般人の私には、初めて聞くお名前だったのですが、どうやら4月16日(水)のプラチナファミリー(テレビ朝日)に出演されるようです。

あのトランプ大統領ともお知り合いなのだとか・・・!?

とてつもないセレブ生活を送っているとか・・・・?

気になりますよね。

そこで、今回は・・・

★青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは何者なのか?
★青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんの経歴は?
この二点について、調べてみました。

青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは何者!?

名前:青木恵子(旧姓・小野恵子)
出身地:東京都
生年月日:1956(昭和31)年
過去ベニハナ・オブ・トーキョー(BENIHANA OF TOKYO)のCEOを務める。
夫は故・ロッキー青木氏。
ニューヨーク社交界でもっとも活躍されている日本人女性として知られている。

ベニハナ・オブ・トーキョーとは・・・

学生レスリング日本代表選手だった、ロッキー青木(青木廣彰)さんが米国で開業し、成功させた、鉄板焼きレストラン。
お客を鉄板の前に座らせ、ナイフや塩・こしょうの瓶を投げながら肉を焼くといった派手なパフォーマンスを取り入れて料理を提供するスタイルが好評。
当時米国内に80店舗、全世界で110店舗にまで拡大した。

夫であった、故・ロッキー青木さんが始めた事業を受け継いだ形ですね。

ロッキー青木さんと結婚して、玉の輿に乗ったみたいな感じなのかな?
ロッキー青木さんと出会う前の青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんはどんな人だったの!?

ご結婚される前の「小野恵子」さんはどんな経歴の方だったのでしょうか。

 

また、ご結婚された後~現在の青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんの生い立ちはどんなものだったのでしょうか。

青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんの経歴

幼少期

建設省の国家公務員の家庭に生まれた。ジーンズのベルボトムの裾を引きずったままでは家に上げてもらえない厳しい父親だったが、「週末はデパートの屋上の遊園地に連れていってくれたりするごく平凡な家庭で普通に育った」という。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41277

国家公務員のご家庭だったのですね。

当時の時代背景を考えたら、国家公務員ですから、エリート家庭の裕福なお家のお嬢様ですよね。

「デパートの屋上の遊園地」は、今でこそ一般家庭のイメージですが、週末に連れて行ってもらえるのですから、東京都の一等地にお家があったのでしょうかね。

学生時代

高校は「都立深川高校」に進学し、バスケットボール部に所属。

都立深川高校の現在の偏差値は・・・
「普通科と普通科外国語コースともに59です(jyuke-labo.com)。
都立高校の中でも上位に位置する学校で、多くの生徒が難関大学への進学を目指しています。」東京都内の公立高校201校中40位の偏差値だそう。

大学は「山脇学園短期大学」へ。

バスケット部に所属し、当時、ミス東京に選ばれたそうです。

山脇学園短期大学は・・・
現在は閉校しています。昭和41年~英文科が新設されていたそうなので、青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは英文科だった可能性がありますね。

その後は、3年間ハワイ大学に留学

在学中ニューヨーク在住の日本人ビジネスマンと結婚し、グリーンカード(米永住権)を取得しましたが、1年半で破局したそう。

ここから、青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんのビジネスが始まっていきます。

その後

最初は、毛皮のコートを日本に並行輸入して売るというビジネスでした。

当時は、アメリカ経済は不景気で毛皮の販売が落ち込み、日本はバブル景気の真っ只中だったそうです。

この波にうまく乗り、初めて挑戦したビジネスでいきなり大成功を収めたそう。

NYのセレブマダムたちの交流の場だった“主婦の友”の理事に気に入られて(NYの)五番街にオフィスを借りたんです。初めて入った依頼が“日本で毛皮を売ってくれないか”というものでした。https://www.news-postseven.com/archives/20220614_1763853.html/2

ニューヨークに住んで毛皮店でアルバイトを始めた。恵子はそこから独立し、もっぱら日本人の富裕層を顧客として、洋服店を経営するようになる。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41277

次に目を付けたのが、下着

「下着業界は4000億円以上のマーケットであるにもかかわらず、日本では大手2社がシェアを占めていました。アメリカでは当時、胸を寄せて上げるワンダーブラという人気商品があったので、これを日本に持ち込みたいと考えました。当時は下着はデパートで売るのが主流で下着屋さんなどはなく、これからはカタログではないかと目をつけた。ワンダーブラの日本での販売を大成功させ1992年から発売して4~5年はすごく売れていたと思います」

https://www.news-postseven.com/archives/20220614_1763853.html/3

この二つのビジネスの成功が、青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんをNYで有名にしたそうです。

青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは、起業を成功させる要素について、以下のように話しています。↓

起業を成功させる3つの要素は、人脈、アイデア、お金です。最低このうち2つが揃えば成功できると思います。お金と人脈があれば、アイデアは買えますし、お金とアイデアがあれば人を雇えます。私は、お金はありませんでしたが、人脈とアイデアがありました

http://www.uskigyou.com/06interview/06_21.html

青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは、最初の毛皮のビジネスのことを思い出し、「あの時はわからなかったからできた」と、当時の行動力について語っています。

そして、実業家・小野恵子として活躍していた中、同じく米国でベニハナ・オブ・トーキョーを経営していた故・ロッキー青木氏と出会い、結婚されます。

以上のことを踏まえると、青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは、ご結婚される前から、米国で起業家としてご活躍されていたのがわかりますね。

短大を卒業後、ハワイ大学に留学・・・という選択肢が実現したことが、後の彼女の人生を変えたとも言えるのではないでしょうか。

となると、やはりご実家が裕福なご家庭だということが背景としてはありますね・・・。

現在

現在、青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんはベニハナ・オブ・トーキョーのCEOを退任。

新たに事業を展開し、挑戦を継続中だとか。

「chef OMAKASE」

そのひとつが好きなシェフを自宅に呼ぶことができる「chef OMAKASE」。

http://chef OMAKASE

オンラインでシェフ、メニュー、食事をする日、開始時間などを選択すると、開始時間の数時間前にシェフがやってきて、食事の準備をしてくれるそうですよ。

また、シェフの側にとってみても、好きな時間に短時間だけ働くことができるので、win-winの関係だとか!

介護用品の開発

もう一つが、全く別分野での挑戦である、介護用品の開発だそうです。

ご自身のお母様の介護現場からヒントを得て、商品を考えたそう。

なんと言っても実用性はそこそこでもデザイン性に魅力を感じないものばかり。アップリケとかついて変に幼稚だったり、そうでなければ味気なかったり。私は寝たきりでも排泄物の処理をしやすく、なおかつオシャレで身につけたくなるようなデザイン性の高い寝巻きを開発しました。

https://www.news-postseven.com/archives/20220614_1763853.html/4

青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんまとめ

いかがでしたか?

今回は調べてわかったことは、以下のことです。

★青木恵子(Keiko Ono Aoki)さんは、過去ベニハナ・オブ・トーキョーのCEOを務めていて、元学生レスリング日本代表選手であり、ベニハナ・オブ・トーキョーの創始者である故・ロッキー青木(青木廣彰)さんの奥様。

★ニューヨークの社交界では有名な日本人女性起業家として、ニューヨークの5番街に住み、超セレブな生活をしている。

★生まれは東京で、父親は国家公務員という厳しい家庭に育った。都立高校に進学し、短期大学時代にはミス東京に選ばれる美貌の持ち主。ハワイ大学に留学し、卒業後は日本とアメリカをまたいでビジネスを展開。その後はベニハナ・オブ・トーキョー創始者の故・ロッキー青木氏と結婚し、世界をまたにかけるビジネス展開をする起業家へと成長。現在も新たな分野のビジネスに挑戦し続けている。

4月16日(水)「プラチナファミリー(テレビ朝日)」の出演がさらに楽しみですね♪

なんだか、パワーをもらったような気がします!

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